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ご挨拶・メッセージ つぶやき

沿うことで、本音を聴く 2

このままでは『心の本音』が悪者で終わってしまう、というところで『本音を聴く 1』を終えました。

体が痛がったり不安になったりしているのを無視して、強引に前屈して筋肉を傷めてしまうヤツですから、まあ悪者とかエゴイストと言われても仕方ない感じです。

本音にも奥行きがあって(マトリョーシカとか玉ねぎのように)、
「ではそう考えるのようになったのはなぜ?」ともう一段階深いところを探ってみると少し違うものが出てくることがあります。
もっと深い理由、本音の奥にある本音、です。

それは体にもあてはまります。
とりあえず硬かったり痛かったり凝ったりしている筋肉ですが、
「ではなぜそうなっているの?」と考えてみると、多くは普段私たちのやっていることの積み重ねから来ています。
そしてそれにもまたもう一段階深い(前提となる)理由があったりします。
ここが傷んでいるから、ここが代償して(かばって働きすぎて)いたんだ、というように。
または内臓に何か不具合があって、筋肉的な痛みを感じていたり。

脱線しました。心の本音のほうに戻ります。

狭量に見える「こんな前屈ではダメだ」という気持ち。本当のところは?
「一緒にやってる人たちはあんなにできてる、恥ずかしい」
「昔はもっと倒せた」
まだプライドにとらわれている感じ。

「これじゃ不健全だろ、柔らかくしなくちゃ」
少し風向きが変わってきた?

もう少し探ると
「これではみんなより早く老け込んでしまう」
「早くほぐして若い頃みたいに元気に動けるようになりたい」
「長い間筋肉を放ったらかしにしちゃったな」
そろそろもっともな話に。

さらに探ると…
「みんなと一緒にいろいろなことができる自分でいたい」
「元気でいて、人のためにも動きたい」
「体のこともちゃんと考えなきゃ」
といった、エゴとは程遠いものに変貌していきます。

一見エゴイスティックな気持ちも、何回も掘り下げていくと、こんな風にけっこう健全な思いや願いが根底にあったんだということにたどり着いたりするのです。

なので、『嫌がる体に無理強いをする気持ち』も悪者扱いせず、観察しているうちにホグれて、もっと優しい、器の大きな本音が姿を現すのを静かに待つほうがよいように思うのです。

(「本気を出してないように見えたらインストラクターに申し訳ない」
なんて気遣いなさるかたも、真面目な日本人にはけっこういらっしゃるようで、このケースも優しい本音ですよね…。)

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今日の投稿『…本音を聴く2』は、日本ヨーガ瞑想協会 綿本彰氏の『マインドフルネス 気分ノート入門講座』で学んだことを軸にしています。
対人関係を前提に話された部分を、私の解釈で、ヨガの場(自分の気持ちと体の対立)に置き換えて考えてみました。
沿うことで、本音を聴く 1